エンタテインメント事業

OZRIC TENTACLES

OZRIC TENTACLES

Photo by : Andrew Perry

オズリック・テンタクルズの歴史は意外に古く、結成は1983年に遡る。ボルシェム・ピープルという名のバンドで活動していたギタリスト/キーボーディストのエド・ウィンとベーシストのローリー・ウィン兄弟とドラマーのニック・“ティグ”・ヴァン・ゲルダーがストーンヘンジ・フリー・フェスティヴァルでキーボーディストのジョーイー・ヒントンと出会い、意気投合して一緒に演奏することになる。深夜の会場で6時間に及ぶジャム・セッションを繰り広げた際、観客からバンド名を訊ねられた際に、演奏前に話し合っていた架空の朝食シリアルの名前の一つ『Ozric Tantacles(オズリック・テンタクルズ)』に思いあたったエド・ウィンがそれをバンド名として答えたのが始まりだ。その演奏が好評を博し、やがてフェスティヴァル出演の依頼が殺到する。1984年にカセット・テープでデビュー作の『Erpsongs(アープソングス)』をリリース、また1986年には『Live Ethereal Cereal(ライヴ・エシリアル・シリアル』、『Tantric Obstacles(タントリック・オブスタクルズ)』、そして『There Is Nothing(ゼア・イズ・ナッシング)』という3作を、また1987年に『Horse Drawn Tom(ホース・ドローン・トム)』を、翌年に『Sliding Gliding Worlds(スライディング・グライディング・ワールド)』をリリース。その半年後の『Bits Between The Bits(ビッツ・ビトゥウィーン・ザ・ビッツ)』は85年から89年の未発表曲集であり、カセット・テープ期の最後のリリースとなった。その後自身のレーベル、ダヴテイル・レコーズ(Dovetail Records)を立ち上げ『Pungent Effulgent(パンジェント・エファルジェント)』をはじめとする数々のCD作品をリリース、中でも1993年の『Jurassic Shift(ジュラシック・シフト)』はリリースと同時にインディー・チャートで11位に着け、後に全英アルバム・チャートでも10位の座を勝ち取った。その後CDリリースとして15枚のスタジオ・アルバムと10枚のライヴ・アルバムをリリース。IACでは16枚目のアルバム『Space For The Earth〈大地の息吹〉』をリリース。