エンタテインメント事業

PHIL MANZANERA

PHIL MANZANERA

フィル・マンザネラはイギリス人の父とコロンビア人の母の間にロンドンに生まれる。1970年、ジャズ・ロック・バンド、クワイエット・サンを結成するがレーベル契約を得られず解散。1971年にロキシー・ミュージックのオーディションに参加したが、その時点では採用されなかったものの才能が評価されローディーとして参加する。
しかし、ギタリストとして採用されたデイヴィッド・オリスト(元ナイス)が脱退したことを受け、非公式なオーディションを経てフィル・マンザネラがギタリストに採用されると彼は瞬く間にステップアップしていくことになる。1975年にはソロ・アルバムをロキシー・ミュージックのメンバーの助けもありレコーディングし、また同時にクワイエット・サンの元メンバーを集めて以前計画していたアルバムを制作、リリース。1976年に801というプロジェクト・バンドをブライアン・イーノ(元ロキシー・ミュージックのシンセサイザー奏者)やサイモン・フィリップスらと共に結成し、数枚のアルバムをリリース。
ロキシー・ミュージックは1976年に一度解散し、1978年に再始動するが、その間のソロ活動を通じて洗練されたその独特なテクニックとサウンド、さらにはコンポーザーとしてもブライアン・フェリーと共にロキシー・ミュージックのヒット曲を数多く創り、メガ・ヒット・アルバム「アヴァロン」の成功に大きく寄与する。1983年のバンド解散後はソロ・アーティストとして、また幾つかのプロジェクトを率いて名盤・名曲を創る。そしてプロデューサーとしてはピンク・フロイドのアルバムやディヴィッド・ギルモアのソロ・アルバムを手掛け、ヒットに導く。2015年には久々のロック・アルバム「ザ・サウンド・オブ・ブルー」をリリースし話題を呼ぶ。IACはフィル・マンザネラの全タイトルの権利を取得しリリース。2021には元スプリット・エンズのティム・フィンとの共作アルバム「Caught by the Heart」をリリース、ラテン・リズムをベースとしつつも多様な音楽観をミックスした円熟の境地を覗わせている。